2020年活動報告  

2月8日〜2月11日:マニラピースキャンプツアー
博物館訪問と教育セミナー&インタラモロス

場所:マニラ(フィリピン)


2月8日〜11日、フィリピンAKAYプロジェクトをともに創る会(AKAY JAPAN)の
マニラピースキャンプツアーに参加してきました。

AKAYとはアバカダカユマンギ地域発展基金(AKCDF)の愛称で、タガログ語で、’ともに’や'手をつなぐ'という意味。
「貧しさのない平和な世界を」と設立された教育施設アバカダでは、就学前の子どもたち120名が学んでいます。
フィリピンと日本の子ども・青年との交流キャンプは1996年に始まり、今回で24回目だそうです。
 
<2月8日(土) 1日目>
ツアーは関西から11名、関東から8名の参加者。
日本からフィリピンへは飛行機で約4時間。時差は1時間です。

マニラのベニグノ・アキノ空港で関西・関東のメンバーが落ち合い、まず向かったのは
ケソンシティにあるThe Bantayog ng mga Bayani(独裁と暴政と闘ったフィリピンの英雄の博物館)。

担当の方からマルコス政権では、軍隊の権威が市民の上にあり、常に戒厳令が出ている状態だったこと、
米国や富裕な国からの負債が貧困の原因となっていて、それは今も続いていることなど、
いろいろと説明していただきました。
政権による弾圧、拷問、行方不明、殺害などで犠牲になった学生、芸術家、ジャーナリスト、
聖職者、医者、各種専門家方々の名前や経歴などが展示されていました。

すさまじい弾圧に屈することなく闘い続けた多くの人々の力が集まり、
1986年コラソン・アキノ大統領が誕生。フィリピンの民主化を実現させました。

博物館の裏手には、マルコス政権下で命を失った方々の名前を刻んだ碑がありました。

 

<2月9日(日)2日目>

2日目午前中は、アバカダで保護者の皆さんへの健康、平和と環境をテーマにした教育セミナー。
たくさんの保護者の方が参加してくださいました。

まず、毎年ツアーを実施されているAKAY JAPAN代表からのごあいさつ。

アバカダ代表のポール・ガランさんのご挨拶。
このツアーの前に、保護者の皆さんにフィリピンの政治状況、米軍基地やジュゴンについての事前学習を
してくださっていました。

 

感染症予防や栄養の摂り方について、森圀悦医師からお話がありました。
フィリピンの子どもたちの死亡率は訳6%で、東南アジアでは最も高いそうです。
下痢をした際の水分の摂り方、不足しがちな栄養素を含んだ食品についてなど、
森医師の具体的なお話が役に立つといいなと思います。
 

 


ジュゴン保護キャンペーンセンターからは、ジュゴンがどんな生き物か、ジュゴンの棲む辺野古の現状、
「命どぅ宝」の思いをお話しました。



タガログ語の通訳をしてくださった校長先生。
心がこもったわかりやすい通訳で、保護者の皆さんも熱心に聞いてくださいました。

今回ジュゴン保護の英語署名をお願いしようと思っていたら、なんとすでに445筆も集めてくださっていました!
保護者代表のお父さんが、「これだけ集めたよー」と少し得意げに手渡してくれました。
防衛大臣に送るジュゴンを救え!大騒ぎはがきも、
ほとんどの方がすぐに書いてくださって、その場で61枚も集まりました。

関東から参加した若者たちが、はがきを配ったりお手伝いしてくれましたよ〜

みんなで記念撮影 お母さんたち若いです〜。

 

そしてみんなでアバカダ特製のおいしいランチをいただきました。

 

午後はマニラ市内のインタラモロスへ。

インタラモロスとはスペイン語で「壁に囲まれた街」という意味。
16世紀、スペイン人初代総督がフィリピンを植民地とした際、建設した城塞跡です。
太平洋戦争時には、日本軍がマニラを占領。そのため米軍からの攻撃を受け、
激しい市街戦に多くのフィリピン人が巻き込まれました。
第二次世界大戦でのフィリピン人犠牲者は110万人にものぼり、
そのほとんどは日本軍によるものだそうです。

私たちは、6人乗りの小さな馬車でインタラモロスを巡りました。

何度も壊され再建されたサン・オーグスチン教会。
石造りの教会としてはフィリピン最古の教会で、ユネスコ世界遺産にも登録されているそうです。

 

ほかにもたくさんの教会がありますが、みなカトリック教会です。

 

大学もこの地域に集中。あまりの多さにびっくりです。地方にも大学はあるのでしょうか?

これは日本軍の大砲。
砲身はアメリカ大使館を向いていたそうです。

城壁には弾痕が残っています。

英語に、日本語を交えながら楽しくわかりやすく説明してくれたガイドさん。
「スペインはカトリックを、アメリカは教育をもたらした。では日本がもたらしたものは〜?」

なんと言われるのか、ちょっとドキドキしましたが、その答えは「CAR 車」でした。
「TOYOTAトヨタ、HONDAホンダ、MITSUBISHIミツビシ・・・」
実際、街中では日本車が目につきました。

過去のひどい経験をたくましく乗り越えてきたフィリピンの方たちですが、
今も苦しい状況は続いています。

3日目に続く

ZAN