2019年活動報告 |
6月28日〜6月30日:第14回 じゅごんの里ツアー
1日目
第14回ジュゴンの里ツアー1日目(6月28日)の報告です。
普天間基地 オスプレイが駐機しています まず、宜野湾市へ。「わんから市民の会」「普天間子ども居場所づくりプロジェクト」の赤嶺さんのお話を聞き、普天間基地周辺を歩きました。 赤嶺さん宅の屋上にて 赤嶺さんのご自宅は、普天間基地フェンスのすぐ横にあります。 お話を聞いている最中にも、オスプレイが不気味な低音を発しながら低空で通り過ぎました。 「普天間吉の滑走路は幅40m 長さ2800m コンクリートの厚さ4m。本当は今年の2月28日までに運用停止の約束だった。」 「しかし米軍は返還する気などさらさらない。昨年、日本政府は50億円かけて、凸凹になった滑走路の改修をやっている」 普天間基地西側の住宅 「普天間基地の西側の地域の住民の血液検査の結果、高濃度のフッ素化合物が検出された」 「豊かな水資源を米軍は汚染し続けてきた」 「米軍は住民の住居の上を平気で低空で飛ぶが、司令部の上はよけて飛行する。危険であることを十分知っているから」 「米軍の高官や軍医の住居は借り上げの高級マンション。1フロア5LDK」 「一般の米兵も基地を出て、友人の住民や彼女の名義を借りて、普通のマンションに住んでいる。心に闇を持つ米兵たちと隣り合わせの生活」 ・・・・・赤嶺さん 普天間第2小学校前 「沖縄には米軍政下からの影響で保育園が少なく幼稚園が小学校に併設されている場合が多い」 「しかし幼稚園は午前中で終わってしまう。幼稚園に延長保育の機能を持たせたり、学童クラブをつくる取り組みが進んできた」 「沖縄防衛局は108校で防音工事を行った。冷房のための電気代は年間で2000万円。しかし沖縄防衛局はこの2000万円の電気代を削りたがっている」 沖縄防衛局が作ったシェルター 「ヘリからの部品落下事故の後、沖縄防衛局はこのシェルターを2か所作った。体育用具置き場みたいなもの」 基地と運動場を隔てるフェンスの両端に目印がある 「沖縄防衛局は、フェンスの両端の目印の中に、オスプレイなどが目撃されたら、40秒で校庭の上空に飛来する可能性が高い」 「すぐシェルターに避難するよう自主訓練せよ、という。」 「落下事故が起きた直後は、屋上と校庭に監視員、誘導担当を置いていたが、今はもう『自己責任』で対応せよという態度」 「体育の授業45分の内、今までの最高で4回避難したことがあった」 このフェンスの向こうにボールが入ってしまうときがある 「フェンスの向こうにサッカーボールなどが入ってしまうときがある。機嫌よく返してくれる米兵も多い、」 「しかしあるとき、ボールを手にした米兵はサバイバルナイフを取り出してボールを切り裂いた」 「米兵は@優しい心を壊し、命令に服従するA素手で人間を殺す技術をつけるB差別を叩き込む。イラク戦争時にはイラク人は「ハジ」と蔑称された」 「女性を殺害したケネス被告は裁判で一度も謝らなかった。『おれの前に姿を現したあの女が悪いんだ』という態度」 「米兵は心に闇を持っている。そういう米兵がすぐそばにいる生活。子供たちの恐怖をなくしたい」 ・・・・・・赤嶺さん 4年前まではコウモリが沢山いたフクギの森 喜友名の石獅子 「4年前まではこのフクギの森には、実をたべるコウモリ(フルーツバット)が沢山住んでいました。」 「しかしオスプレイが飛ぶようになって、一羽もいなくなった。低周波音の影響かもしれない」 ・・・・赤嶺さん 普天間居場所づくりプロジェクトの「そいそいハウス」に移動して更にお話を聞きました。 そいそいハウスで昼ごはん スタッフの森さんよりお話を聞きました。 森さんは大阪府の和泉市出身。2013年に沖縄に来て、最初は部品落下事故のあった、みどりが丘保育園で働いておられました。 いまは「そいそいハウス」のスタッフをしておられます。 「2016年に普天間こどもの居場所づくりプロジェクトが始まりました」 「2016年段階で沖縄の子どもの貧困率は全国平均の2倍の29%でした(全国平均16%)」 「子供の貧困に関するシンポジウムで赤嶺さんに出会った。最初は役所に掛け合って援助を受けようとしました」 「しかし役所は実績のない団体にはお金をださない。それでまず場所の物件を探して、見切り発車でスタートさせた」 「沖縄の子どもの貧困は基地と米軍支配が根本。米軍政下で福祉政策が本土より遅れた」 「沖縄では幼稚園が保育園より多く、5歳児問題と言って、5歳児は午前中で幼稚園が終わっていくところがない」 「児童館は小学生から。今は延長保育が始まっり改善されてきたが、親が若く仕事で帰りも遅くちゃんと晩御飯が食べられない子が多い」 「離婚率が高く仕事も建築関係で、多くが不安定雇用だ。建築業は今はホテルがあるが、かっては基地関連の仕事が多かった」 「『ヤンキーと地元』(打越正行)『 裸足で逃げる沖縄の夜の街の少女たち 』(上間陽子)というルポをぜひ読んでほしい」 「沖縄で高校を卒業するとその後の進路は2極化する。ひとつは本土の大学に行き、本土で就職する」 「もうひとつは沖縄に残り、建設関係や性産業などで不安定雇用の下で働く」 「沖縄の成人式が荒れるといわれているが、2極化の分岐点に立っている時期だから」 「こういう若者の不安定な状態があって、その子供たちも貧困の連鎖に引き込まれる」 「そいそいハウスは、すべての子どもを受け入れるし、あれこれ指図をしない。好きなように自分らしく過ごせる居場所」 ・・・・森さん そいそいハウスの「大切にしたいこと」 そいそいハウスを後にして、名護市へ。稲嶺進 前名護市長との交流会に向かいました。 名護市役所 名護市役所近くのビルの一室で稲嶺進 前名護市長との交流会を行いました。 稲嶺さんから、2期8年の稲嶺市政の中で、「再編交付金にたよらない街づくり」を具体的にどう進め、市政を刷新していったかを聞きました。 稲嶺さんと海勢頭豊さん ・入札制度の改善 「2010年に市長に当選し、まず入札制度の刷新からはじめました。それまでは談合がはびこり、力のある業者が中小業者を牛耳っている実態があった」 「入札の予定価格は事実上ばれていました。それをなくすため、入札予定価格を3つ作ってくじを引かせて決めるようにした」 「業者のランクにはA,B,C三つある。ある入札で落札した業者は次回は遠慮してもらう。AランクだけでなくB,Cランクの業者にも仕事が行くようにした」 「名護市の建設関連予算は年間80億円。まんべんなく公正に仕事がまわって建設業界は喜んでいた。とくにB,Cランクの中小業者によろこばれる仕組みだった」 「しかし選挙になると必ずしも簡単にはいかない。大きな業者の支配力はなかなか押さえられない」・・・・稲嶺さん ・事業仕わけ 「最初の3か月間に事業仕訳を徹底した。@必要なもの A必要性はあるが急がないもの B不必要なもの に分けた」 「そして中央各省庁の補助金を事業ごとに申請し、まかなった。ひとつ道路をつくるのでも国土交通省だけが補助金を出すのではない。厚生労働省も補助金を持っている」 「事業の内容によってどこの省庁に補助金申請をするのかを検討し、説得力のある申請書を作成する」 「これによって、基地再編交付金はもらわなかったが、就任2年目で予算が増えた。経済成長率は県内2位になった。」 「市政8年の最終年には、待機児童0、中学校までの医療費0、国保険料県内最低、学校の耐震化を前倒しで実行した」 「保育所は任期中に10個所増やした。新築ではなく無認可の保育所に援助をして、認可の条件を満足できるよう応援した」 市政8年を語る稲嶺進さん ・市政を支え、仕事をするのは職員である 「日本の省庁はいろんなメニューを持っている。確かに基地を受け入れ防衛省から金をもらえば補助率は高い」 「しかし補助率10%の差で、基地を受け入れるのか?それは違う。他の予算獲得のメニューはないのか知恵を絞って企画を立てるのが職員の仕事」 「金がなければないで、知恵が出てくる、『じんぶん』がでてくる」 「私はある年の施政方針演説で『職員ががんばった』と強調した。自分の業績を自慢したがる政治家は多いが、実際仕事をしているのは職員で、職員が誇りを持てるようにしないといけない」 「また名護市議会が健全だったことも大きい。議長を除いて全員が一般質問をする市議会は、他に聞いたことがない」 ・「がちんこ市長室」 「17時過ぎたら市長室にのれんを掛ける」 「採用3年目、採用5年の職員全員をグループ分けして市長室に招き、市の幹部も交えてディスカッションする」 「各グループ合計5回行う。@趣旨説明 Aグループ内議論 B市長、副市長、部長クラスと話し合う Cもう一度考える Dまとめ、解決策」 「採用3年目は慣れてきたころ、採用5年目はそろそろ一人前、そういうポイントの時期に徹底して市政に関する課題を議論し、人を育てる」 ・オール沖縄の源流は2010年名護市長選挙である。 「私(稲嶺進さん)を市長に押し出してきたのは、当時の与党保守系の人たちだった」 「翁長さんも自民党沖縄県連の幹事長までやった人」 「しかし戦後74年(米軍統治27年 復帰47年)経つのに、沖縄はどうなっているのか?なぜ沖縄だけが『振興策』なのか?」 「沖縄に対する財布のひもは首相や自民党幹事長が握っている。そして日本はいまだアメリカの植民地状態で、沖縄は構造的に差別されている」 「構造的差別はずっと沖縄を支配してきたシステム。変えなければならない。我々の闘いはまだしばらく続くと思うが、安倍政権はかならず倒す」 「当面は参議院選挙で勝利する」 熱いお話でした。稲嶺さんの成し遂げたことの大きさ、そして稲嶺市政を支えた職員のみなさん、名護市民の皆さんの「じんぶん」に深い感銘を受けました。 辺野古新基地を止め、「構造的差別」のシステムを必ず変えていきたいと思いました。 交流会を終えて、宮里の居酒屋「たけのこ」で交流会。おいしい料理と共に参加者の交流をしました。 SDCC 国際担当の吉川秀樹さん ジュゴン訴訟に勝利しましょう 名護市会議員の東恩納琢磨さん 翌日は船でお世話になります SDCC会員で、本部町在住 本部島ぐるみ会議メンバーの高垣さん 安和桟橋、本部塩川港からの土砂搬出阻止行動を粘り強くになっておられます。 翌日、辺野古テント村で渡すバナーに、みんなで寄せ書きしました。 毎年お世話になっている、「たけのこ」のおかみさん。おいしい料理とくじけない気持ちをありがとうございます。 一日目からの充実プログラムに頭がいっぱいでしたが、明るい気持ちになれました。 お世話になった皆様に感謝いたします。 ☆じゅごん |