2005年活動報告  


10月14日:ジュゴン連続セミナー第1回概要




その1


目崎さんは東京教育大卒業後、1975年〜1985年の11年間琉球大学に勤務されました。その間の貴重な写真も交えて沖縄の成り立ちや自然についてのお話をしていただきました。
その一部を紹介いたします(文責SDCC)     

(写真提供 目崎茂和さん)


 沖縄のジュゴン
沖縄では海からやってくるものは宝物と思われていました。海からやってくるジュゴンは神様からのプレゼントとして大切にされ、琉球王府への献上品にもなっていました。                      目崎さんが琉球大学にいらした当時、沖縄のジュゴンは絶滅したと考えられていました。しかし数十頭と数少ないながらも沖縄本島の周辺、特に東海岸にジュゴンは生息していました。                 人とジュゴンが共生するためには、現段階では保護区を作るしかありません。


      GIS沖縄研究室HPより

沖縄本島の成り立ち
沖縄本島は石灰岩からできた島です。左図のように南部は山の少ない低い島、北部ヤンバルは山がちな高い島です。山のあるところには川があり、川のあるところに村が出来、田んぼが出来ます。低い島には川がなく、海岸の泉の周辺に村が出来ます。田んぼではなく、畑しか出来ません。

1980年ごろの嘉陽の村
嘉陽は辺野古の北東にある海沿いの村です。山側に水田があります。海から神様がやって来るときには、先ず集落の前に位置する島に寄り、それから山へ上がったということです。

  1978年 嘉陽の水田
沖縄の水田耕作の開始は今から、2,3〜500年前にさかのぼりますが、今ではほとんど水田は姿を消し、パイナップル畑などに変わってしまいました。沖縄の水田はマングローブを切り倒して作られていたことが多く、今でも水田跡を掘るとヒルギの根が出てくることがあります。


       宜野湾市HPより

宜野湾市と普天間基地
市の真ん中に位置する普天間基地は、市の面積の25%を占めています。戦前、基地が作られる前、この地域は泉が多く、水が豊だったそうです。大山地区にある「ひーじゃーがー」という湧水は最初の那覇の水源だったそうです。基地に場所を取られた人たちは、仕方なく基地の周りに住み着き現在の町ができました。昨年8月に沖縄国際大学に普天間所属のヘリコプターが墜落するという事故が起きました。この危険な基地は辺野古への移設ではなく、一日も早く撤去されるべきです。

1980年 恩納岳 金武射爆場
沖縄の自然は米軍基地によって守られてきた、という皮肉な側面があります。米軍基地以外は人の手が入って開発されました。米軍は沖縄の森をベトナム戦争の演習用に使い、サンゴ礁は上陸演習場になりました。そんな中、恩納岳は実弾射撃によりはげ山になってしまいました。米軍再編により沖縄北部に基地が集中することになれば、ヤンバルの森と海は、破壊されてしまいます。